芽生えている色んな気持ち
もうすぐ1歳10ヶ月になるちゅんちゃん。
短い見通しが持てるようになって、
予定がわかると安心したり、楽しみな気持ちを持てたりするから、私は寝る前、ちゅんちゃんに次の日の予定を話すようになった。
さっきのこと。
「明日はお友達がお家に遊びに来てくれるよ。かきかきとか、すべりだいとか、絵本とか、ブロックとか、お友達と一緒に使おうね☺️一緒に遊ぶの、楽しみだね〜☺️」
と話すと、ちゅんちゃんが突然泣き出した。
はじててのことで、私はびっくりしてとまどった。
(ちゅんちゃんが「怖い」と思うような言葉はひとつも無かったはず。なにが嫌だったのかな?)
「まま だっこ だっこ」
と泣きじゃくるちゅんちゃんをぎゅっと抱きしめ
「抱っこしようね。大丈夫よ。」
と落ち着くまで抱っこした。
少し落ち着いてきたところで、
「ちゅんちゃん、どうしたの?なにが嫌だった?」
と聞いてみると、ちゅんちゃんは泣きながら
「ちゅんちゃん 使おうね やだった」
と途切れ途切れ話してくれた。
そこでやっと私は
「お友達とおもちゃを一緒に使う」
ことが嫌だったのだとわかった。
ちゅんちゃんはそのあとも
「ぱぱとあそぶ」
と泣いた。今日は1日夫🐦と2人きりで夢中になってブロックで遊んでいたから、それが楽しかったんだろうなあと思った。ちゅんちゃんはきっと、明日もそんなふうにおもちゃを独り占めして遊びたいんだろう。
お友達が家に来てくれると、ちゅんちゃんがいつも1人で使っているおもちゃをお友達も使う。
大人の私には当たり前のことに思えてしまうけれど、ちゅんちゃんにとってはそれが悲しい気持ちにも嫌な気持ちにもなることなんだ、と気付かされた。
そんなふうに人と一緒に遊ぶのも、大事なおもちゃを取り合うのも、ひとつの経験。
日常のひとつひとつがちゅんちゃんにとっては大切な経験なんだ、と忙しない毎日の中で忘れてしまっていた大切なことに気づく。
そこで私は、
「どうぞって一緒に使うのが嫌だったんだね🥲ちゅんちゃんの大事なおもちゃだもんね。いいんだよ。大切なおもちゃは、ちゅんちゃんが使ったらいいんだよ。お友達にも、大切なおもちゃだよって伝えようね。」とちゅんちゃんに話した。
するとちゅんちゃんはしばらく黙ってから、「うん。」と頷いて泣き止んだ。
自分の気持ちはママに伝わった、と感じて、安心してくれたんだなあと思った。
しかしまたしばらくすると、次はちゅんちゃんの方からぽつりと、
「お友達 どうぞ してくれる(してあげるの意味)」
と言った。さっきからの突然の心境の変化にまたまたびっくりして、私は、
「え!お友達におもちゃどうぞしてあげるの?ちゅんちゃん!優しいねえ。」
と言うと、
しばらくの沈黙の後、ちゅんちゃんはまためそめそと涙を流し始め
「いやだった。どうぞ いやだった。」
と泣いた。
話していない沈黙の時間に、ちゅんちゃんの中ではいろんな気持ちが芽生えては悩み、芽生えては考え、くるくると葛藤しているんだ。
なんて尊いことなんだろう、と胸がぎゅっとなった。
お友達におもちゃを貸してあげたい気持ちも、
お友達と一緒に大切なおもちゃを使うのは嫌な気持ちも、
どちらもちゅんちゃんの大切な気持ちで、
どちらも間違いなんてないほんとうの気持ち。
小さな身体と小さな心の中に芽生えている小さな葛藤を、私は大切に大切に見守りたいなあと思って書き留める。
明日、ちゅんちゃんがどんなふうにお友達と遊ぶのか、楽しみにして、寝よう。